ソミックグループとJDSCが熱く語る!人が中心であること。それをAIが実現すること。つまり、それは「愛=AI」

ソミックグループとJDSCが熱く語る!人が中心であること。それをAIが実現すること。つまり、それは「愛=AI」

昨年10月に開催し、大好評を博したJDSCのWebinar 「UPGRADE JAPAN JDSC DAY 2023」。その中でも、日本を代表するものづくり産業であり、いま大きな変革が起きている自動車業界を支える株式会社ソミックマネージメントホールディングス石川彰吾取締役副社長のご登壇セッションは時間の関係で40分の本編のみを放映させていただきました。
しかし、収録の現場では議論が白熱。石川社長にJDSCの佐藤、寺村が語り尽くす延長戦があったのです!その内容も、中堅中小企業から挑戦する人材を生み出すために機械学習が必要であることから、石川社長が持つ三つの顔に、日本のマネジメントスタイルなどなど話題は尽きず。そして話は「愛=AI」へ。読み応え抜群のトークを公開いたします!

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佐藤:
Webinarの収録お疲れさまでした。今大きな変革が起きている自動車業界を支えていらっしゃる御社とDX推進をご一緒させていただいている成果をご紹介でき大変嬉しく思いました。そしてなにより、中小中堅企業だからこその取り組み、お考えに非常に心打たれました。

寺村:
今日は良いお話しを伺えました。その中でも大事なことは、中堅企業だからこそ、現場でヒトを作っていかないと日本は変わらない、ということだと思うんですよね。

大企業がやるのは言わば当たり前、資源もあるし、素養を持った人も揃ってると思います。でも、日本の99%を占めるのは中堅・中小企業であり、その中から人が変わっていかないと、日本は変わらない。だから、中堅企業から挑戦する人をたくさん生み出せるといいなって思います。

挑戦する人を生み出すには、挑戦するだけの余裕と時間によって心理的安全性を担保する必要があり、これらを生むために機械学習があると思うんですよね。機械学習は、いろんなことを要約してくれると思っていて、これだけ多様化しちゃって、何作っているかよくわからないし、プロセスの一部で歯車みたいになっている社会の中で、自分がやってることを要約してくれる手段だと思います。

要約の作業に没頭していると創造性が発揮されないと思いますが、これを機械に任せちゃうことで、余裕が生まれて、心理的安全性が生まれて、チャレンジできるみたいなことにつながるんだろうなと考えています。

石川:
結局人を変えていくみたいな話で言うと、これまで弊社はいろんな研修プログラムを導入しながらやってきましたが、最後は自分の手で、実際にやってみてそこから得られる体験・経験が変わることのベースになるのかなと思います。そう言う意味では、従業員の皆さんを見ていてもそう思いますし、結局はその積み重ねなのかなと思います。

もちろん、時代や環境の変化もあって、現在は考えることや、やることがたくさん増えていると思います。今後、現時点で存在している職業の半分がなくなって、半分新しい職業が生まれることを考えると、辞めることと新しくやることが同時に起こりますよね。片方ずつ起こっているのであれば、片方ずつやればいいと思うんですけど、両方のことが起こると、そうはならない。そう考えると、寺村さんの仰っていた「どこに人を使うのか」が重要になってくると思います。

寺村:
一方で、半分の職業がなくなるって聞いた時に、ワクワクすれば良いのではと思いますね。(笑) 半分の職業がなくなるんだったら、そこは混沌としてくるだろうし、もう少し総合性を働かせると、新しい職業とか、新しい価値の出し方や、その過程で挑戦する土壌みたいなものも生まれてくる可能性もあるんじゃないかなと思います。そこに対して、少しでもワクワクできる人が一人でも増えていけば、変わってくるのではないかと思います。

石川:
なるしかない、って感じですよね。

佐藤:
でも、実際にそれができる経営者って限られているとも思います。「リソースがないことに逃げている」と言うと失礼かもしれないですが、そういう企業が多い中で、彰吾さんには原体験的なものがあるんじゃないかと想像したんですが、教えていていただくことはできますか。

石川 彰吾 さん

石川:
まあ、大きく私の中に「私」が三つ存在していて、思想の話になっちゃってますかね。(笑)

一つは、先ほど申し上げたように「ソミック石川」という107年の歴史のある会社で、この会社の創業者ならびに歴代社長のDNAを受け継いでいる「私」です。「107年の歴史のDNA」というのは、第二次世界大戦などの歴史を経験しながら、創業から変革を進めて、企業を存続させ続けてきたところにあり、私の中にもそのDNAがあると思っています。

もう一つは、私自身が海外経験も含めて国内外いろんな経験の中で様々な人たちと繋がり教えてもらってきたことなのですが企業や人が変わり続けていかないと、生き続けられない”変革”という要素がある「私」です。ただ同時に、変革の延長で持続可能な社会なのかというと、そうではなくなって来ていますので、もう一つ存在しているのは、創造と変革を同時に回していく「私」です。

私自身、意思決定だけしているのではなく、日々実務のところまで下りていくことも多いです。「実務者がやることだし」と思わずに実務現地現物で、何が起こっているのかを認識するのは、経営者にとって、特に新しいことをやっていく人にとっては重要だと思うので、そこだけは絶対にやろうと常に考えています。実際に周りにそういう経営者は増えていますし、それだからこそ、いろんなところでコラボレーションが起きていくんだろうと思います。

JDSCさんとしても、そういったお客さんとの多くの接点があり、それがある種の大きな違いかなと思うんですけど、飛鳥さん、もし何かあれば紹介いただけないですか。

佐藤:
そうですね、JDSC自体が「コンソーシアム」という発想から来ていますので、「一社じゃなくて、みんなで世の中変えていくんだ」てことは常に考えています。ただ、本当に変革していかなくてはいけない人たちは増えているんだと思うんですけど、全てかというとそうではない。彰吾さんに言っていただきましたけど、私たちのストーリーが他の経営者に火をつけたりだとか、現場に火をつけたり、という連鎖を作っていき、結果としてコンソーシアムになったらいいなと考えています。

寺村:
少し過激なことを言ってみます。彰吾さんはアメリカもご経験されていますが、日本のマネジメントスタイルと、アメリカのマネジメントスタイルは同じでなくてもいいんじゃないかと思います。アメリカは発明・創造した人がリードしていく風習・価値観だと思いますが、日本にマネージャーはいらないんじゃないかと。日本は特に自然災害等の外部環境が厳しい国で、それに対するマネジメントよりも、現場の知恵で立ち向かってきたという、つまり日本は現場の国なんですよね。

日本の中でのマネジメントを1.0、2.0、3.0とすると、1.0では現場で戦っていて、ウォークマンなど色んなものが生まれて生活が一変しました。一方で、マネジメント2.0みたいなアメリカ流のマネジメントスタイルが入ってきて、これが混乱の原因になったのでないかはと思っています。「マネージャーを育てよう」的な文化が生まれたことで、勘違いが発生しちゃったという。もちろん、アメリカ流のマネジメントを否定するわけではないですが、ただマネージャーが入ることによって現場の人たちが「そこに委ねちゃえばいいんだ」っていう感覚がよくないと思うんですよね。「マネージャーが来たから、あとはトップダウン、ミドルダウンで進んでいくんだ」っていう思いがあると、現場は骨抜きになってしまうと思います。彰吾さんが言ったように、マネージャー意識の進んだ方は当事者意識があることによって「現場に行かなくてはいけない、ハンズオンしなくてはならない」と考える方も幾人かはいます。一方で、勘違いをしている人も多いと思っていて、僕の結論から言うと、日本の場合は、マネジメント自体をAIがやればいいと思うんですよ。要約したり交通整理したりする作業などはもともと機械がやっていくべきだと思っていて、現場の人は「精一杯の力で踊る」みたいな、自分達の創意工夫で創造性を発揮してチャレンジしていく環境ができれば非常にいいなと思います。

JDSCでやっているプロジェクトもそういうものが多くて、下手に「マネジメントを改革するパッケージを入れます」みたいなことは言ってなくて、現場から入っていって、「汗かきながらダンパー愛を一緒に語る」みたいなところに行き着いています(笑) そういうと「JDSCのやり方は昭和みたいだな」と思われるのかもしれませんが、僕らなりに考えて、日本流の価値の出し方なんじゃないかと思っています!

石川:
今の話って、僕なりの理解・解釈を加えると、得意なところで活躍できる世界を作るのが一番良いんじゃないかと思うんですよね。当然これまでのようにデジタルテクノロジーの進化が大きくなかった時代は、得意でないこともある程度できないとそもそも業務が前進しませんでしたが、デジタルテクノロジーの進化によって、やりたくないことを我慢してまで無理にやらなくてもいい世界になってきたと思います。だからこそ、得意な分野で活躍できる環境を活かして、各人が能力を活かせる状況をセットしてあげるためにやるべきことはなんだろうかなあ、と考えていました。

佐藤 飛鳥

佐藤:
変な風に入って来てしまったアメリカ風のマネジメントを、日本の昔の良さを活かしながら成長させていくというストーリーもあると思うんですが、必ずしも国内の売上だけを意識したマネジメントスタイルをもう一度生み出せば良いと言う話だけではないことも、ボーダーレス時代の一つの難しさなのではないかと思います。実際、彰吾さんは海外のことはどう考えられているんですか。

石川:
まさに、日本のやり方をそのまま海外に持っていき、日本を世界地図の真ん中に置いて、日本のやり方で管理をし続けるという経営スタイルが、本当に今後のグローバルの経営に適しているかどうかを、日本企業は考えなくてはいけないフェーズに来たと思います。何でもかんでも、日本人の在り方そのものが中心にあり続けるのは間違っていて、最近よく聞く「外国人の活用」という言葉も私は嫌いなのですが、外国から日本に来て働く人たちの幸せな生き方を、本当に日本に来て実現できるのかどうかまでを考えた上での、「日本の生活スタイル」や「海外の人たちとのコラボレーション」が非常に重要なんだと思うんですよね。日本企業そのものが、本当に今までの日本を世界の中心に置いた経営スタイルがそもそも合わなくなっていることを受け止めなきゃいけない。そういう点で、飛鳥さんが仰っていただいたことにつながると思います。

佐藤:
そうですよね。国内なのか海外なのかのマネジメントスタイルと、グローバルでのマネジメントスタイルとは、一定分けて議論する必要がるんだろうなと思っています。

寺村:
正直、日本のマネジメントが成功したことってあるのでしょうか?基本的にそもそも日本にマネジメント自体がないと思っていて、その中で、世界標準を日本ができるかって言うと難しいと思います。これはやっぱりノウハウがある欧米の方が強いですよね。これを勘違いして移植しようとすると、ハレーションを起きますし、自分もコンサルタントとして中国で仕事していましたが、お互いが良かれと思っているのに喧嘩しちゃう、みたいなケースも結構あるんですよね。中国の技術者は日本の技術を学びたいし、日本の先生は中国の中で市場を拡大していきたいという双方の思いがありつつも、そこでボタンのかけ違いが起きて、「誰も悪くないのに」みたいな。それって結局は、一歩抽象度の高い物事の解決ができないマネジメントの不在なんですよね。なので、ひょっとすると日本のやり方をそのまま移植するのではない方法を彰吾さんが模索されているのかと思いました。

石川:
経営陣でディスカッションしていると、「どんなものの存在も効果があると同時に、逆効果もあるよね」と言う話をする事が多くあります。効果の行き過ぎた先に逆効果が出てきて、逆効果の中に矛盾が存在する。この矛盾をどう統合するのかということです。日本のやり方が良かった時代もあったが、それが行き過ぎたことによって逆効果がでているのであれば、それは日本式なのか欧米式なのかというAかBかの議論ではなくて、AもBも逆効果がある中で、新しいやり方Cが実はグローバルにおける経営のあり方であるというものが、これから生まれなくてはならないのだと考えいています。

寺村 英雄

寺村:
それをAIにやらせたらいいんじゃないですか(笑) 結局、抽象度の高いレベルで物事を要約することは、日本人はあまり得意じゃないですよね。欧米が学術や地政学がとても発達しているは、おそらく「どうやったら戦争に勝てるのか」とか「どうやったら大陸の住民たちから価値を生み出して、本土に還元できるのか」みたいなことを極めてストラテジックに考えているんだと思うんですよ。ストラテジックに考えようとすると、当然枝葉のミクロの事象をたくさん集めないといけない一方で、それらを一度マクロに要約しないとダメですよね。Aという国だったら、「ああいう人たちがいて、こういう文化で成り立っているから、こうしよう」だし、Bだったら同じことが言える、みたいな。そういうこと自体をしっかりとやった上で打ち手を探していくことが戦術だと思うんですよ。

逆に、現場の力がすごく強いのが日本だと思っています。データの世界って、欧米で発達した後に日本に持ち込まれているのは、そういうことなのかな、と思っています。

石川:
聞いてて思ったんですけど、「人が中心である」というのと、AIの話を掛け合わせると、「愛」になっていくのかなって思います。これが、「愛」を真ん中に置きながら、テクノロジーとそれを活かす人間が掛け合わさった時に、新しい人間社会のあり方みたいなものが、今まさに弊社とJDSCさんで取り組んでいることが成功すると、たくさん出てくるんだろうなあと思っています。

佐藤:
「愛=AI」ですよね。いいですよね。

寺村:
日本って、人間じゃないものが身近にいる歴史を持つ社会だと思っています。妖怪が京都の門の横にいたり、場合によってはネコ型ロボットが机から飛び出してきて押し入れで寝るみたいな世界があるじゃないですか。昔からすごく思っているのは、日本人を客観的に見ているのは、そういった人たちだと思うんですよ、妖怪だったりロボットだったりね。ちょっと極端な表現でしたが(笑)、むしろ彼らの方が、人間社会のミクロなものを見て、抽象的にまとめてくれて、それが物語として語り継がれて来たんだと思います。なので、矮小化して言うと、ロボットみたいなものは、日本の社会にとっては相性がいいと思いますし、もっと抽象化して考えると、機械学習やAIみたいな形、さらにもっと夢のある言い方をすると、「人間じゃない知性」みたいな親しみのある捉え方ができるのではないかと思います。自分たちができない能力を持っていて、抽象的なものをまとめて提示してくれる役割を果たしてくれる、みたいな。将来的には、サポット(建設現場向け作業支援ロボット)が人間の傍にいて、ものを運んでくれる役割だけじゃなくて、運んでもらっている人たちが気づかなかったことをサポットが語りかけてくれるような社会は来るんじゃないかって思いますし、想像しやすいところまで来ていると思います。なので、「愛」だと思います。


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